2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

今日、金山博物館で第60回公開講座が開講され、山梨郷土研究会・数野雅彦さんによる「甲斐国・河内の初期金山を巡る新資料」と題しての講座が開かれました。

大変、貴重な切り口からのお話しで、研究にも弾みがつくものと強く感じました。やはり、甲斐金山は1400年代後半から産金が始っていたと見ることが出来るようです。検討を要する部分も多々ありましたが、更なる研究発展に大きな刺激になったことは間違い…

2月22日コメント覧に王国プランナーから「ビデオレター」の実験映像が送られてきました。

この日記でも動画を流すことが可能ですので、魅力ある富士川流域王国の小さな出来事から始めたいと思います。22日のコメント覧の頭をクリックしてみてください。

鰍沢河岸遺跡に残されていた白い壁の土蔵、今日解体作業が進められていました。クレーンを使って骨組みを丁寧に一本一本、外すように作業をしていましたから、何れ復元を考えてやっているのだなと感じました。

何れにせよ、歴史の目撃者になったわけですが、富士川舟運の最後の砦だったとも思われる家が解体されるのは、ちょっと寂しい感じがしました。とりあえず国道52号線の道路脇に止まって一枚写真を撮りました。少し小さいですがご覧になって下さい。

王国の「ビデオ・レター」、この日記で動画が流せそうです。

広瀬義朗王国プランナーの協力を頂き、準備を進めていきたいと思っています。

いや〜こんな時、がんばらな〜い癒しの旅はいかがですか?。国民総動員でこんなこと出来たらいいですね。!

温泉へゆったりつかって、気持ちのリフレッシュ。1〜2日経てば、いやっ!、こんなことしていられないって言うのがせっかちな日本人ではないでしょうか?。 この気持を次へのパワーに変換させるといですね。 究極のどん底のときに、新しいものが生まれてき…

いまこそ、気持ちを切り替える時ではないですか!。この政治・経済の閉塞感。国民の誰もが歯がゆい思いをしていませんか?。

しかし、個の力ではどう〜にもならない。 先に来日したヒラリーさん。やっぱり、凄いですね。政治には無縁な私ですがそう思います。 笑顔の下に相当な決意が感じられましたし、どん底から脱出したいアメリカの気持ち、その序章が始ったようですね。各国との…

本日(2月21日)の読売新聞の週末寸言に表題の記事を書きました。

目指せ癒しの観光地 湯之奥金山博物館長 谷口一夫 山梨県は周囲を高山に囲まれ、中心には大きな盆地がある。盆地からの景観は北部に八ヶ岳・茅が岳、西部に北岳など南アルプス連峰が壮大に映る。東部には大菩薩嶺が展望でき、冨士山麓には霊峰富士山が聳え、…

小川さん、話が妙な方向へ走ってしまいましたが、ご勘弁を!。

富士川流域王国・週末住人(組立式ログハウスによる)構想実現めざす!

既に、この日記でも紹介してきましたが、山林を森に整備する過程で、間伐材が出ますが、それを使った「組立式ログハウス・キット」の商品化と、縄文時代の環状集落をイメージした、週末住人の体験広場、ログハウスを森の中へ環状に配し、中央へ広場(作業、…

森でのキャンプに癒しの原点が!

また森の中のキャンプですと晴れてないと不安ですが、あるコースでの体験は最初から最後まで土砂降りの雨、その雨に順応していたら、ど真ん中の1日だけ晴れてしまい、逆に戸惑った経験がありました。人間って環境に馴染み易いんだなと感じた一瞬でしたが、…

人の生活の場は、440万年、土の上だった。

物質にだけ頼る現代人にとっては、縄文人に学ぶものが沢山あるのではないかな、とも思ったりします。考えてみれば人類の生活の殆んどは、土の上の生活で、今のような暖冷房つきの箱の中での生活ではありませんでした。 森の中のキャンプでテント生活を体験す…

山梨県へは3万年前に到達

ちなみに山梨県に到達した時期は後期旧石器時代で3万年前、続く痕跡は南部町の天神堂遺跡からは1万8千年前における生活の跡がみられます。 よく知られる縄文時代(新石器時代)の始まりは、その後で、今から1万3前年〜1万年前。縄文最盛期は5千年前の…

アファール猿人(350万年前)より古いラミダス猿人(440万年前)が人類共通の祖先だった!

人類は猿人→原人(初期ホモ族)→古代型ホモ・サピエンス→現代型ホモ・サピエンスという進化の過程をたどり、最初の人類共通の祖先はラミダス猿人で、440万年前に、アフリカの大地溝帯で最初に地上に降り、2足(直立)歩行した猿人であることが分りました…

人は、いつ、どこで誕生したか?

先ず最初に世界地図がありましたらアフリカ大陸のページを開いてください。なければ頭の中で想像してください。 大陸の中心に上下(縦)に一本線を(頭の中で)入れてください。さらに右半分の中心にもう一本線を入れてみてください。 その線の右方向に縦に…

小川さん(1月17日コメント)の問いに答えたいと思います。

随分前(15年くらい前?)にお話ししたこと、覚えていていただき感謝いたします。

上記、Blogを拝見。改めて松のすばらしさに触れることができました。

まだ鰍沢の遠藤社長宅の庭にあった時の、舟運遺跡の面影の中にあった松を拝見していましたので、遺跡と建物は消えましたが、こうして関係者の皆様の努力があって、貴重な松が残されていたことに、何かほっとしたものを感じました。 多くの皆様に上記のBlogを…

かいじあむのお庭番 2009/02/16 12:08

この記事の文中にお書きにらなれている、県立博物館の庭へ移植された鰍沢河岸の歴史を伝える松ですが、博物館の庭の四季折々の表情を伝えている非公式ブログ『お庭の自然inかいじあむ』の2009年2月16日の記事としてご紹介をしましたので、ご参照ください(…

かいじあむのお庭番さん コメント(下記)ありがとうございます。

2月12日日記に書きました、鰍沢河岸の残された2軒のうち平屋建ての家が昨日消えました。あと一軒もここ何日かでしょう。国道52沿いにも雰囲気が残されていますが、この方は残されるかも。

観光地や観光施設の集客や顧客との触れ合いに、自己施設PRの自作DVDを活用した「ビデオ・レター」(日記風に最近の出来事から、行事案内、季節や草花情報など、多彩なテーマで話題を編集して)の利用を提案します。富士川流域王国でも王国の魅力を満載したビデオ(さあ、富士川へ行こう)を作成しましたが、結構いけると確信しています。

「ビデオ・レター」については、それぞれ自社のホームページにて案内を出し、希望者に送付する形や、常連さんには、定期的に送ることで、心の触れ合いが増しますし、絆が強くなります。当然、集客増に結びつくでしょう。こうした小さな努力の積み重ねが、必…

最近、コメント欄に、王国日記にふさわしくない投稿があります。気がつけば消去していますが、よろしくご理解とご協力お願いいたします。

今朝、金山博物館へ向かう途中、鰍沢河岸に残る最後の土蔵に、ユンボの手が伸びていました。ひょっとすると消えるかも!。急いで折り返し数枚写真に収めました。

鰍沢河岸跡の建造物など、解体し保存されていると聞きますが、どこかへ復元されることを望んでいます。舟運会社の遠藤聡知社長宅など、素晴らしい建造物でしたし、発券所建物や白い土蔵の家並みなど、富士川舟運の様子を伝えていただけに、建造物が消えてい…

「きらり倶楽部」の交流はこうした「辻」をイメージした会合です。

色々な情報を持った方々が「辻」に集まり、面識と交流を図る、すでに巷には色々な団体や会がありますが、いずれも会則に縛られたり、役職に縛られたり、会員を維持するための義務を果たす必要が生じますが、一切それを無くした交流会を指向しています。 一つ…

原始・古代から近世に至るまで、人々の交流の場は「辻」(広場)でした。

村と村とを行き交う道がクロスしているところ、ここを「辻」と言いますが、この辻が人々の交流の場であり、情報交換の場であったりしました。生産された農産物や果物なども、辻まで持ってきては、流通させた場所であったり、婿さんや嫁さんがいないかな、と…

富士川流域王国「きらり輝き倶楽部」活動について(紹介)

「王国ときらり倶楽部」の活動は、同じ時期に別個の活動としてスタートしていましたが、昨年4月のきらり倶楽部例会から王国活動の一環として位置づけました。 この活動も固定したメンバー制をとらずに、開催時に出席できる方々で、交流会を楽しむ形をとって…

富士川流域王国の活動について(王国代表・谷口一夫)

王国は富士川本流、それに上流域であります釜無川、笛吹川、早川、大柳川など多くの支流域(富士川水系と考えてください)の広域的なエリアでの活性化を標榜し活動を行っています。 山梨県の二大観光地、冨士山麓と富士五湖、八ヶ岳山麓と清里などに続く、富…

1月17日の日記に紹介いたしました「鎌1本でできる家庭菜園」(写真)の見学会・説明会を希望者がありましたら開催いたします。希望者を募ります。

富士川流域王国では、観光の光が行き届かない地域の方々へのプログラムとして、「年金+なにがしかの収入」につながる地域活性化の目玉として、「鎌1本でできる家庭菜園」の普及活動をはじめています。その実験農場(既に4〜5年の積み重ねがあります)の…

1月29日、舩木上次さんの前田文化賞受賞パーティーが盛大に開かれました。舩木上次さんご夫妻おめでとうございます。

当日は県内外から関係者多数が甲府富士屋ホテルにあつまり、祝福いたしました。20年にわたる清里フィールドバレーの開催や観光のカリスマとしての日常活動など評価されたものです。舩木上次さんの萌木の村(八ヶ岳連邦国)と富士川流域王国は国交樹立をし…