2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「地域活性化への策」は意外とこんなところに隠れている気がしてなりません。

このようなシステムが出来れば、交通が不便だった山村なども、「足」の心配がなければ、そこでの生活も可能になると思いますし、高齢者の老後の生き様も変えることが出来ると思います。

実は、タクシーも甲府駅や石和温泉駅前などを見ますと、客待ちの列が見られます。JRなど利用の為に、家族に車で送迎してもらう度に、何か申し訳ない思いがいたします。また代行車もよく利用しますが、ドライバーの方との会話でも、タクシーでは15万円稼ぐのは容易ではないと言います。だからバイトですよ、といいます。2種免許があって5年間無違反・無事故なら個人タクシーの免許を与えて、「面的」のようなシステムが投入できないか、問いたいところです。料金も最初の10キロが500円、1キロ増すごとに100円が相当でしょう。

実は、管理さえ行き届けば、このような「足」が、本県にあったなら、山梨県全体が元気になれるだろうと思うわけです。買い物難民、病院へ行くにも儘ならぬ、と言う中で市町村は、町営のバスや市営バスを走らせていますが、どうしても痒いところへ手が届く状態にはならないでしょう。バス会社やタクシー会社に経営してもらえば、会社も新しい切り口の経営が出来るでしょう。

しかし、やがて競争が激しくなり、問題点も露呈し始め、国も管理が難しくなり、「黄虫」(ホエンチョン)という悪口も言われるようになり、おむね10年で終焉しました。

「面的」は、黄色で塗られていて、いわゆるイエローキャブですが、利便性が後押しして1985〜1995年代ごろには10万台以上あったとされます。経営はタクシー会社が、運転手を採用してやるケースと個人(私営)が認められ営業するケースがあり、かなり活気がありました。

一般のタクシーとは違い、農家の方が、収穫された野菜なども大きな背負い籠に入れたものも乗せて、市場に持ち込んだりもしていました。ワンボックスの軽自動車でしたが、後部座席を最後部に下げてあり、運転席と乗客の座席の間は、何でも運べていました。正に生活の足でした。料金も最初の10キロが10元(当時日本円では100円程度)、その後1キロ増すごとに1元(同10円)という安さも利便性が高かったように思います。

こんな時、何時も思い浮かべるのが、中国へ学術交流で頻繁に行っていたときのことです。北京始め中国全土にあったと思いますが、私は主に安徽省合肥市(中国科学技術大学)に赴いていた時に、利用した軽自動車のワンボックス・カーの市民の足「面的」(メンデ)がありました。市中を何台も流していたり、人が集まる市場などには、何台も待機していて、いつなんどきでも、すぐ拾えると言う状況にありました。

読売新聞週末寸言(2011・5・21)で「交通弱者救う足」と題した記事を書きました。本県の場合、自家用車の普及で当たり前の社会が築かれていますが、この要因を考えれば、「鶏が先か卵が先か」の議論になるでしょう。公共のバスや電車ではカバーできない社会になっていますが、この為、免許を持たない、車を持たない、交通弱者にとっては、社会生活が儘ならない事態に置かれています。

大震災以来、観光客がパタッと止まりましたが、4月29日〜5月8日10日間の湯之奥金山博物館の来館者に動きが出始め、前年度実績を上回りました。同博物館は、富士川流域王国のシンボル的な生涯学習施設&観光施設で、来館者が元気良く来ていただけると、関係者の顔もほころびます。また、本日は有料入館者26万人目の記念入館者をお迎えできました。甲州市松里中学校1年生一行でした。詳細は湯之奥金山博物館HPでご覧下さい。

こうした流れの中に、中部横断自動車道沿線活性化推進構想推進協議会の峡南ブロックの中で、「富士川流域観光公社」(案)が出てきたことは、嬉しい出来事です。小さく纏めず、広域的視点に立ち地域を考え、隣県とも積極的に連携していく意欲こそが、今の山梨県には求められている事でしょう。改めて、王国発足時の思いが蘇ってきました。

特に、全県博物館の中には、八ヶ岳山麓(清里)の山梨県・長野県にまたがった「観光圏」、富士山・富士五湖の「観光圏」、がありますが、王国の狙いはこれに富士川水系(+甲府盆地)「観光圏」という、観光圏を樹立し、3観光圏がそれぞれの魅力を競い合い、連携し合いする中から、山梨県の活性化を考える必要を、王国活動では、訴えてきていますが、これは県民の意識だけですから、目に見える形には、なかなか表れないわけですが、この日記を読んでいただいている多くの皆様は、どのように感じておられるでしょうか?。

この水系一帯を「富士川流域王国」という夢空間でくくった活動、この活動を通じて、まずはこの地域に住む方々が、地域の魅力をどのように認識し、それをどのように、伝達(発信)することが出来るかが、まずは、それを地域起こしの原点と考え、王国活動は行ってきていますが、その意識改革が、これまでにどれくらい浸透してきているか・・ですが、少なくとも活動初期より間違いなく進んできているという認識はあります。

特に山梨県は、全県博物館(県土そのものが、自然博物館であり文化歴史博物館)との認識でいますが、その富士川水系一帯を一つの「展示コーナー・テーマ」として、その活用の方法論など語り合いました。

山本義人王国プランナーとじっくり、エコ・ミュージアム構想を語り合いました。当日は陽気もよく、新緑の風を受けながら博物館イベント・テントで実施しました。エコ・ミュは、王国コンセプトの初期からのテーマですから、具体的な取組み方について、およそ3時間語り合いました。