本日(2月21日)の読売新聞の週末寸言に表題の記事を書きました。

ktaniguchi2009-02-21


目指せ癒しの観光地
湯之奥金山博物館長 谷口一夫

 山梨県は周囲を高山に囲まれ、中心には大きな盆地がある。盆地からの景観は北部に八ヶ岳・茅が岳、西部に北岳など南アルプス連峰が壮大に映る。東部には大菩薩嶺が展望でき、冨士山麓には霊峰富士山が聳え、五湖との調和を一体化させている。これに四季おりおりの彩りが加わる。その美しさは組み合わせ次第で無限大である。
 さらに豊かな天然水、温泉、綺麗な空気が重なる。この地こそ先人達が生きる為の営為を積み上げてきた歴史舞台であり、現在を生きる県民の贅沢すぎる生活の場だ。
 この地に残された最初の人の痕跡は、後期旧石器時代の3万年前に溯る。また生活の痕跡は1万8千年前(南部町天神堂遺跡)に、そして1万3千〜1万年前の氷河期が終えるころ、本県では縄文時代新石器時代)の幕明けを告げる。
 縄文時代中期(5千年前)には、芸術性に優れた土器に象徴される成熟された文化の発展があり、北杜市梅ノ木遺跡(環状集落)に立てば、大自然謳歌した自然と共生した縄文人の姿が浮かび上がる。そのころの山梨は列島の頂点だった。
 やがて弥生時代古墳時代を経ながら甲斐国が形成され、今日の姿に発展していくが、その遺跡の分布は釜無川笛吹川沿岸に集中し、現在の人口分布とも重なる。
 いま中部横断自動車道の10年後の開通に向け、それまでに沿線地域はどのような対策が必要かの議論が始まった。基本的には歴史にみる人口分布を覆すことは難しい。しかも中央(都市)の論理と地方(田舎)の論理が入り乱れ、列島という視点からすれば中央の論理が優先される。県内でもこの構図はあてはまる。
 だが都市化すればするほど田舎を恋しくなり、疑似体験であっても田舎に癒しを求める傾向は増す。ならば人口密集地(都会)に生きる人達のリフレッシュの場(田舎)として、無限大の素材を活用した質の高い癒しの観光地(特に峡南地域)をめざすしかない。