2011-01-01から1年間の記事一覧

今年は、自然災害との戦いだった訳ですが、来年は穏やかな1年になることを祈念しております。来館者の皆様、本当に有り難うございました。また、金山博物館の館外活動であります「富士川流域王国」プランナーの皆様にも厚く御礼申上げます。プランナーの皆様には、山梨県企画部(課)が進めています中部横断道沿線活性化推進協議会における会議にも多くの皆様方が参加され未来を見つめた議論をし、具体的な活性化への取り組みをして戴いております。新しい2012年も引き続いて活動して参り、中部横断道開通までに禍根を残すことが無いように、環

ところが、この最中今度は台風15号に襲われました。金山裏山からは中規模の土石流が博物館に襲いかかりました。屋根からは大量の水が侵入、散々でした。博物館職員の努力で復旧を急ピッチで進め、休館することなく乗り切りました。前を流れる下部川も増水、対岸の崖を喰い始めました。あと1時間降り続いたら、金山博物館の被害も甚大になったと思われます。

館長を務めている山梨県身延町の湯之奥金山博物館も6月位までの予約がキャンセル、団体客などの動きがピタッと止まりました。その後7〜8月にかけて来館者が増え続け、とりわけ8月は開館以来最高の数の有料入館者をお迎えいたしました。震災の関係で遠出をしなくなった関係かも知れません。平年ならお盆をピークに来館者は減るんですが、今年は金の高騰が続き、純金がゲットできる金山博物館に来館者が押しかけました。テレビ局(NHK、テレ朝、フジTV、地元のNHK,YBS,UTY各局が中継を挟み)が連日報道してくれました。お陰様で来

多難な1年でした。3・11には未曾有の震度9という大震災が東北を襲いました。被害の大きさは想像を遙かに超える甚大なもので、被災地の皆様には改めてお見舞いを申上げます。当日自宅に居ましたが、遊びに来ていた孫の杏奈ちゃん(9歳)を抱えて、駐車場へ逃げ出しました。かなり長い時間揺れましたが、私が住む笛吹市は震度5弱でした。もともと私の自宅があります笛吹市は1本断層が走っており、明治のはじめには震度5か6の大きな地震の震源地になったことがありますので、不安が平素からありました。今回も東海大震災が来てしまったという

本日、未明に金山博物館に盗賊が侵入しました。本日のTVや明日の新聞で報道されると思いますが、大きなガラス窓を砕き侵入、売店の金銀製品などが持ち去られてしまいました。

これらの作業を通じ、真剣に地域活性化を考えている皆様が大勢居られることも、このプロジェクトを通じ知ることができました。峡南5町の未来にも希望が出てきた感じです。先ずは目標を明確にし、地域がその目標達成に向け、取り組む姿勢が高まることを願っています。

県企画部(課)による中部横断自動車道沿線活性化構想推進協議会の4年次目にあたる今年度はより具体的なプロジェクト推進の方向が検討され、一部はその実施へ向けた作業が始まり、いよいよ現実味が出てきています。いずれも夫々のプロジェクト関係者の努力で形づくられて来ているものです。今年度末にはその事業は、知事に報告され、来年度は、さらにプロジェクトは充実した形になり、名実共に活性化の目玉として走りだします。具体的内容はその時点になりませんと、詳細に書けませんが、富士川流域王国プランナーの皆様が、これまで広域的に捉えて

これは、同賞企画部門で「シリーズ遺跡を学ぶ」で出版社である「新泉社」が美事選ばれたことによるものです。私もそのシリーズの中で、「武田軍団を支えた甲州金」(湯之奥金山)を執筆していましたので、出席を決めました。お陰様でその本の売り上げは、金山博物館のショップでも、関係者の力で売れ行きがよく、第2刷が現在出回っています。

富士川流域の山々の紅葉も進んでいますが、今年は赤や黄色が少なく、茶系の葉も完全に枯れて黒ずんだ色が見られます。そんな感じですので、例年より紅葉の華やかさが欠けているかと思います。致し方ないですね。やはり、夏の暑さと台風の来襲が強く影響したと考えられます。

と言うことで本日は、久々の日記でしたが、短文で終ります。書きたいことは一杯あるんですが、後日に続きます。

私自身、11月は超多忙な月となりました。色々充実した中身を要求される各種会議が続いたり、研究会、研究集会なども、さらには未だ非公開ですが、大きな事業の母体づくりに奔走する毎日です。12月中には、結果が出てくるかと思います。朗報はそれまでお待ち下さい。

気づけば、殆ど1ヶ月近い空白が出てしまいました。日記を開いていただいた王国プランナーの皆様はじめ関係者の皆さん、ご無沙汰致しました。

王国プランナーの鈴木俊輔さん(NPO南部農援隊理事長)が、フィリピンへの移住を決め奥様と、奥様の母の3名で新天地での生活をすることになりました。マニラ〜日本間は飛行機で楽々移動ができますし、現地の皆様の親日感、現地の友人・企業のサポート、医療関係などの充実さが、移住の決め手となったといいます。マニラ空港から車で30分、閑静な住宅街で、自宅は120坪(建坪)のスペイン風の住宅だそうです。また、別に契約しているリゾートがあるということで、機会があったらお出かけ下さいということです。鈴木さんのフィリピンの住所、

中部横断自動車道沿線地域活性化交流促進プロジェクト推進協議会・峡南ブロック・プロジェクト班は、1、情報受発信部会、2、食の「こしべんと」部会、3、富士川下り部会、4、文化施設・観光施設への集客部会、がありますが、さらに5、自然遺産・文化歴史遺産部会を立ち上げ、峡南5町における「学習プログラム」の充実を図る方向で、もてる資源(既にリストアップされている)に、あらたな素材を盛り込んだ内容で構築(企画編集)を進めて参りたいと思います。いよいよ王国プランナー皆様の出番になりましたので、思い切った「学習プログラム」

南信州観光公社の高橋社長、農家の小木曽さん、有り難うございました。

素材的には、我々富士川流域の方がバラエティーにも富み、その取組みにも情熱ある「ひと」次第で、今後大きく開けるものと確信を強めて参りました。数ある素材を商品化する「編集力」がやはり大事なことで、我々富士川の活性化を日常的に実施している者にとっても、新しい感性の元で、もう一回、急いで観光素材の有り様を組立て直し、かつ、新鮮な商品に仕上げていく努力こそが大事だということを痛感した研修旅行となりました。

やはり情熱を持った指導者(高橋充さん)や、宿泊農業体験の受け入れをしている、伊賀良会の小木曽清一さんの取り組む姿勢が、印象的で学ぶものが沢山ありました。今後の富士川流域の活性化に大いに生かせる部分があるように感じました。

特に南信州は、代表取締役社長の高橋充さんの、並々ならぬ情熱に触れることが出来ましたが、農業の体験型修学旅行で完成度が高いプログラムのあり方に同公社の真髄を学んで来ました。

中部横断自動車道沿線地域活性化交流促進プロジェクト推進協議会先進地視察研修で、長野県飯田市の南信州観光公社へ視察研修に行ってきました。同協議会は2年間の構想期間を経て、3年目は具体的な事業展開の方向が示され、今年はその具現化の為の作業に入っていますが、目下、富士川流域観光公社(仮称)設立を目指しているだけに、先進的な位置の中で業績を上げている、南信州の事例をつぶさに視察研修して参りました。

私(谷口一夫)もトロンボーン奏者として出演、楽しい思いをさせていただきました。王国内の文化活動として私自身は位置づけていますが、今回は第11回やまなし県民文化祭地域フェスティバル参加事業でもありました。

今回はスクリーンミュージック特集で、指揮者・矢沢定明先生により、大成功のうちに開催されました。曲はハリーポッター、ナルニア国物語、パイレーツオブカリビアン、ジュラシックパーク、そして最後はふたばジュニアコーラスの可愛らしい少年少女の皆様とサウンドオブミュージックが楽しく演奏され、来場者からの惜しみない拍手が鳴り響きました。

富士川流域王国内のオケ、南アルプス桃源交響楽団の第33回定期演奏会が、同楽団のホームであります桃源文化会館音楽ホールで本日盛大に開催されました。

全国へ身延町、また金山博物館が紹介されたことは、富士川流域王国全体に活気を呼び、地域活性化にもなっていると思います。経済効果も大変多きと思います。

因みに、8月15日フジテレビ「スーパーニュース」撮影取材。16日YBS撮影取材、17日テレビ朝日「ひるおび」OA、YBSテレビOA、18日UTY取材・UTY「ニュースの星」OA、21日テレビ朝日甲府取材・撮影、NHK甲府取材撮影、テレビ朝日甲府取材撮影、22日テレビ朝日「モーニングバード」生中継

、山梨日日新聞取材、25日読売新聞取材、27日「週刊現代」取材撮影、31日毎日新聞取材、トーキョウFラジオコメント出演、9月8日山梨放送「宝くじどか〜んと1000万円」OA,などなど続き、今日に至っております。

富士川流域王国の拠点的観光施設として、また金山をガイダンスしている生涯学習拠点施設として、平成9年に開館以来有料入館者270,000人を突破していますが、大体の傾向は、関東(40%)、東海(40%)、その他全国から10%、県内から10%の割合で多くの来館者の皆様をお迎えしています。特に毎年7〜8月は数々のイベント、詳しくは「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」(検索)でHPを開いて頂きますと詳細が分りますが、それらを含め館は来館者のピークを迎えますが、今年は8月下旬頃から金の高騰(グラム5000円に近づく勢い)

本日のNHK「おはよう日本」で甲斐黄金村・湯之奥金山博物館の活況ぶりが放映されました。これは先にNHK甲府のニュースで放映されたのに続く、関東エリヤ(東京都・千葉県・神奈川県など)へ流されたものです。

多くの県内外の皆様、「一般公開」の日を楽しみに、歴史ロマンを体感しに、是非山梨県へお出かけ下さい。

この碁石金が散逸したら2度とお目にかかれないでしょう。今回の県立博物館への収蔵が決まったことに安堵しています。

これは、信玄の時代に金1両=金4匁〜4匁2分(田舎目)と考えていたのではないかと思われます。つまり、甲州金である「碁石金」は、貨幣への萌芽期の貴重な歴史資料だと言える訳です。

さらに、慶長8年に江戸幕府が開かれます、その江戸幕府の慶長小判は慶長6年頃から鋳造が始まりましたが、その規定量目は(4匁7分6厘)17・85グラム、品位は金84・29%、銀15・71%で、結果、慶長小判の金使用量は、(約4匁)15・05グラムとなっています。

武田家はこの遺産(制度)を残し、天正10年に滅亡しますが、それから14年後くらい未だ江戸幕府が開かれる以前の慶長元年前後に、我が国最初の4進法による甲州金貨幣制度が始まります。「両、分、朱、糸目」です。つまり「4糸目が1朱、4朱が1分、4分が1両」です。この1両金貨の量目がなんと信玄公の「碁石金」と同じ(4匁)約15グラムなのです。