2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧

私の持論は、一過性のイベントでなく、やるなら未来に繋がるイベントをやれ、ですので第28回大会が、さらに大きな夢を持って発展することを望みますし、加えてそこから何筋もの、さらなる夢のテーマが発生する一つの契機になって欲しいなと思います。村瀬さん、またまた、よろしくお願いいたします。

近年では日本のペタンクの立役者村瀬直臣さんともメールや年賀状だけの繋がりになっていましたが、この大会でお会いすることが出来ましたが、村瀬さんと話をしますと、何時も泉のように実現可能な夢の話に花が咲きます。今度は山梨県の地場産業ワインの振興に繋がる、国際的なテーマで、次の夢を語りあう事ができました。ワインとペタンクは切り離せませんし、かってはサントリー山梨ワイナリー収穫祭にはペタンク大会を併設して数年やって来た経緯もあります。ワイン業界を国際的な定位置に据えるような夢物語です。

その後山梨県では、ねんりんピック大会に合わせ、第7回が開催され、さらに今回の28回と繋がりました。ブローニュの森で見たペタンクが42年の歳月を経た中で、このように盛大に開催できたこと、ずっと辛抱強くここまで繋げてきた大会ホストを務めた山梨県ペタンク協会古屋里義会長と県協会関係者の皆様の努力には大変感謝しています。

実は同年4月28日に、同研修ハウスと帝京大学山梨文化財研究所の設置が決まり、私が両施設の所長に任じられました為、秋には整備が終えるだろうと言うことで、村瀬直臣理事長とは、秋になったら第1回大会を開きましょうという夢を描きました。温泉有り宿泊施設が有り、プライベートなテニスコートやプールがあり、さらにはワインがあり、加えて大会に際しペタンク専用コートも整備いたしました。ダンプ5台分の採石を入れ、整地し素晴らしいコートが誕生、ここで第1回大会は大成功に終えることができました。

色々なチャンスに恵まれ第1回ペタンク日本選手権大会は、1986年(昭和61年)11月23日(日)に山梨県石和温泉郷の帝京大学研修ハウスにおいて盛大に開会されました。

日本ペタンク協会(村瀬良臣理事長)所属の第1号の県協会が山梨県ペタンク協会でした。村瀬さんと夢を語るうちに機会が出来たら山梨で日本選手権大会を開催しましょう、と随分話に花が咲きましたが、それが第1回で実現しました。

所属していたロータリークラブの仲間と甲府市内を流れる荒川の河川敷や考古学の授業を受け持っていた県立女子短期大学のグラウンドを使っては、練習や小さな競技会を開催して来ましたが、ロータリークラブ会長の古屋直臣山梨大学学長にこの話をしましたら、ペタンクには文化の香りを感ずる、GBはする気がしないがペタンクならやりたい、と同クラブ内にペタンク同好会を15名位で立ち上げました。これを山梨県ペタンク協会(古屋直臣会長)とした訳です。

その後、フランスを含む欧州各国へ自分が経営する新聞社の取材もあり、またPARIS開催のSIM展へのニット業界(青年部YJK)の出品(3回)や、フランスにおけるニット発祥の地トロア(セジュルネ会長=全仏の会長でもある方)と山梨ニット産地との姉妹産地締結のボランティア活動、さらにはPARIS開催のビジョルカ(国際宝飾展)への出品を希望していた山梨県装身具協会(YSK)の出品交渉やその実現などの仕事をしている時期に、フランス見本市協会の日本代表村瀬良臣氏との交流が始まり、同氏からペタンクのルールなどの資料をいた

興味を抱いた私は、その道具である鉄球(700㌘+−25㌘)をパリ市内のデパートのスポーツ用品売り場を探し歩きましたが(専門店でしか販売していなかった)ため断念、1975年の渡仏時に、専門店を訪ね、40個のボールを購入、船便で日本へ送ってもらいましたが、正式な競技名もルールも全く分らぬまま物置に眠っていました。

42年前の1971年、当時フランス・パリに旅行中の谷口がフランスの国技とも言えるペタンクの存在を偶然ブローニュの森を散策中に発見したことに端を発します。

このペタンク大会、第1回、第7回、そして今回の第28回と山梨は最多開催県ですが、実は最初のペタンク競技導入県が山梨県だったからです。

前夜際は11日甲府市内のベルクラシックにて午後6時から200名以上の選手役員ら関係者が集い開催されました。この席上、王国デレクターであります谷口も段上に立つ機会が設けられており、ペタンク初期の頃の話をさせていただきました。

第28回日本ペタンク選手権大会が山梨県甲府市小瀬スポーツ公園で12〜13日の両日北海道から九州まで各都道府県の予選会を勝ち抜いた代表チーム女子トリプルス64チーム、男子トリプルス64チームが、合わせて128チーム384選手プラス関係者が集い、今年度の頂点をめざした熱戦が繰り広げられました。

同時に、三石林道の全線開通を知り、さらに湯之奥(下部温泉)〜猪之頭(朝霧高原)線は、県境にあるトンネルからの富士山の眺望や、紅葉との素晴らしい出会いが見込まれる林道として、素晴らしいサイクリング・ロードとなる魅力が再認識されるなど、温泉郷の活性化に繋がるPJに発展する可能性を感じるものがありました。

本日、表題の開催へ向けた準備の一環として、サイクルPJの青木茂樹会長と共に峡南地域の関係先を回り下打ち合せをして参りました。関係先それぞれが「ツールド富士川」について理解をしていただいており、好感度をもって対応していただけました。感謝です。