2014-01-01から1年間の記事一覧

富士川流域一帯に本格的な秋がやってきました、まだまだ紅葉の時期(10月下旬〜)には、至っていませんが、素晴らしい季節が富士川流域で感じられるようになりました。富士川町、市川三郷町、身延町、早川町、南部町の大自然の中には学習ポイントが沢山あります。テーマを決めて巡回するのもよいかと思います。

郷土出身のニプロ創業者・生涯社長を務められました佐野實さまは、金山博物館が活性化すれば下部温泉郷も、身延町も活性化するんだと、私などはいつもご指導を賜ってきました。

こうした甲斐金山の学習が実際に湯之奥3金山(現場)と、ガイダンス館である「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」で学習できる、富士川流域王国内の教育・体験学習の拠点として活用されていることになり、その数も32万人(有料入館者)をお迎えできましたことに感謝申し上げます。富士川流域王国の拠点として、金山博物館は輝き続けていきたいと館スタッフ全員が頑張っております。

自然に川に流された「砂金」、河岸段丘に残された「芝金」採掘に代わる、もっと積極的に山中にある鉱石、その当初は風化した鉱石を露天掘りして採掘し、その鉱石を道具(磨り臼、回転臼など)を使って粉成(こなす)したこと。それを比重選鉱し金を採集した、その技術こそが100年後の佐渡金山などで、さらに大きく飛躍したという歴史的位置づけが甲斐金山の歴史的位置づけとして評価されるわけです。

1500年代後半(16世紀後半)に甲斐金山は鉱石から産金する山金山として開発されました。有名な金山はここ身延町湯之奥金山(国史跡の中山・茅小屋・内山金山)や、甲州市の黒川金山などですが、日本では650年(7世紀中葉)に陸奥国(涌谷・黄金山)、下野国(八溝山)、駿河国(多胡浦濱)から、砂金による産金活動が始まり、甲斐国で山金(鉱石からの産金)が始まるまでに、すでに12世紀の東大寺金色堂でも知られる「黄金の国ジパング」は形成されています。では、甲斐金山がなぜ注目されるかについては、日本の近代鉱業の先駆けとなる

身延町の下部温泉駅から3〜5分のところにあります、甲斐黄金村湯之奥金山博物館、この9月4日には開館以来の有料入館者32万人目のお客様をお迎えできました。山梨日日新聞9月6日付に記事が掲載されています。

ですが富士川流域には秋がやってきています。行楽シーズン、自然の中でいろいろな学習も楽しめます、食事もおいしくいただける季節、是非とも富士川沿岸の観光をお楽しみ下さい。

9月に入りましたら急に冷え込んできました。日中は30度くらいの暑さですが朝方は冷え込み20度前後くらいですかね。思わず布団にもぐりこむ状況です。まだまだ秋晴れの好天気に恵まれません。高気圧が日本列島の東にあって、湿った空気が高気圧の左(日本列島)を進む天気図を見ますと、列島のどこかでいつ豪雨に襲われるかも知れません。

さて今年は春先の歴史的な大雪に始まり、4月から連日38度近い気温に見舞われましたが、それがなんと8月下旬に至ってもなお続くといった、また日本列島各地において大洪水や土砂崩れが発生し、多くの犠牲者が出るといった異常気象に伴う大変な事態が続いていますが、異常気象の怖さをまざまざ見せつけられた感じです。多くの犠牲者の皆様のご冥福をお祈りいたします。

2014年度砂金大会の総合優勝者は近藤直美さんが激戦を勝ち抜き優勝杯(パンニング皿の優勝プレート)を手中におさめました。

2014年度の砂金甲子園優勝校は、兵庫県の灘中高等学校と東京都の桐朋学園中高等学の両校が同点優勝となりました。贈られました砂金甲子園優勝旗と優勝トロヒーが両校へ授与されました。

連日のうだるような暑さ盆が過ぎても秋風は遠いようです。富士川流域の観光ポイントである湯之奥金山博物館の夏プログラムは、7月の科学実験教室を皮切りに、7月26日には第14回砂金堀大会が、その翌日の27日には東西中高交流砂金堀大会(砂金甲子園)が開催され、さらに8月2日〜3日には「こども金山探険隊」が開催されるなど、いずれも、参加者が有意義な体験、夏休みの自由研究、さらには中高校生は峡南地方における地歴の研究に実り多い体験や学習をされました。

特に4、については、一番後発でしたが、先に推進母体のNPO法人化の設立を終え、前年の第1回ツールド富士川の成功をばねに、第2回ツールド富士川の開催に勢いがついてきてますので、今年度第2回大会の成功には大いに期待がかけられます。詳細情報は同法人のホームページが間もなく閲覧可能になると思われますが、いずれ本欄でも紹介していきたいと思いますので、多くの皆様の富士川流域王国への入国(訪問)をしていただけたらと想います

前回(5月)の日記以来久々の日記です。この間、日記を開いていただいた皆様にはお詫びいたします。これからは、必死に流域王国一帯の活性化について、プランナーの皆様とともに考えていきたいと思います。プランナーの皆様も参加してますが、県企画課と峡南5町の枠組みで推進されている、中部横断道活性化推進協議会峡南ブロックの活性化PJは、1、富士川流域観光公社(仮称)PJ、2、こしべんとPJ、3、富士川下りPJ、4、ツールド富士川PJなどとの取り組みの中で、1、を除き一人立のメドが見えてきています。1、については、もう少

そればかりでありませんね、山梨県、元気がなく感じます。企業は出て行くわ、20年以上下げ続げ続ける土地の評価額、人口減少、リニアが甲府を通過することが決まっても、リニアを活用した都市計画が見えません。この風光明媚な甲府盆地や盆地を取り囲む美しい山々、なぜ、活性化しないんでしょうね。日本やアジアの最先端研究集積都市(シリコンバレー)などの大胆な県土山梨の活用を夢でもいいから語り合いませんか?。リニアは間違いなく本県にできる訳ですから。この想いは金丸信先生が山梨県へリニア実験施設を誘致したときに始まったわけです

ここで言う活性化プロジェクトは、富士川流域観光公社(仮称)のこと。いろいろな課題はいつまで待っていても解決しませんね、いつかは決断して取り組まねばならないでしょう。その他のプロジェクトは、こしべんと、富士川下り、ツールド富士川、はそれぞれ一人歩きできるまでになっていることは、関係者の努力があればこそで敬意を表します。

ところで、この横断道開通による沿線地域の活性化について、ストロー現象で沿線地域が疲弊しない為の作業を数年にわたり県企画課と峡南5町、地域の関係機関、活性化に取り組む関係者で構成されてきた中部横断道沿線活性化推進協議会活動の成果、結果が見いだせないまま、時だけが経過し焦りを感じます。最後の追い込みに逆転現象が起きる事があるんでしょうか。

笛吹川左岸から富士川右岸を南下したり、また、左岸からそのまま市川バイパスから大同に入り、六郷から久那土を経て国道300を抜ける道を経由して、下部温泉駅へ出る道を平均週3回往復走ってますが、その途中市川バイパスの橋梁工事(富士川を跨ぐ橋梁が支えもなく延びている勇姿?)、複数のトンネル工事現場、六郷インターの工事現場など見ますと、本当に急ピッチで工事が進んでいるなと実感します。

また佐野實社長には、下部温泉郷(湯まち)活性化や私は金山衆の末裔かも知れないよ、ということから金山のガイダンス館である湯之奥金山博物館には特別な想いで接していただきました。

特に郷土出身のNIPRO創業者・生涯社長を務められました故佐野實さま、永年ご交誼いただき色々な山梨県活性化のプランを語り合い、その具現化のために山梨県内はもとより、青森県、岩手県、岐阜県、愛媛県、長野県、静岡県を巡り歩きました。残念ながらこの事業、山梨県にとっては時期尚早だったということで断念致しましたが、県内を回るのに白いジープも活躍、なんとこのジープに佐野實社長も乗られて、面白い車だねぇ、との感想をいただいたりしましたが会社では平素、黒塗りの高級車なのに、佐野實社長の心づかいに今でも想い出しては感謝し

富士川流域の観光資源を発掘しようと、ビデオカメラを片手に又はウインドウに固定させ、右岸(国道52)や左岸(県道)を富士川沿いに走り周り、撮影も沢山してきましたが、DVD「さぁ富士川へ行こう」(富士川Dream)30分を編集したりしました。富士川の魅力が十分出せていると思っていますが、作成時には博物館K学芸員さん、博物館応援団Hさんにはほぼ徹夜で頑張っていただいた記憶も鮮明に残っています。このDVD富士川流域王国シンポジュームで公開いたしましたが、さらに内容の濃いDVDの編集も計画しています。

山梨県の遺跡調査・保存で、地域活性化で県内をくまなく走り続けました、特に新車登録の平成元年〜3年は湯之奥中山金山の総合調査が始まった年、さらに平成9年の湯之奥金山博物館開館から館長を務めており、基本的には往復84キロ×週3日、また県外など遠方へもずいぶん足を延ばしました。

本日、私のお馴染みの白いJeepが平成元年登録以来、走り続け本日40万キロメートルを達成致しました。この間、山梨県内を中心に走り回り、どこを走っていても知人に目撃され続けた25年数か月でした。今後、ジープを発見しましたら、すれ違いざまに2回クラクションをピ、ピッと鳴らして下さい。実は私の方からは博物館の仲間と特別な仕様の車でないと分かりませんが、お願いいたします。地球1周が4万キロですから10周回ったんですね。車自身もよく頑張っているなぁと思います。

本日、中部横断道沿線活性化推進協議会のPJの一つ、富士川流域サイクルエリア創設プロジェクト推進協議会が、「特定非営利活動法人やまなしサイクルプロジェクト」の設立総会を開催NPO法人がスタートしました。昨年秋開催のツールド富士川の大成功が、次へのステップを加速させた訳ですが、大いに結構な話で、多くの皆様の支援をいただく中で、同NPOが発展することを願ってやみません。すでにPJは、こしべんとPJ、富士川PJ、が一本立ちしつつありますから、このサイクルPJが立派に成長することを願うとともにともに頑張りたいと思い

4月初旬の桜の季節が終えたらもうゴールデンウイーク、めまぐるしく季節が変わっていく現実に直面していますが、あなたのGW、どんな計画を立てていますか。富士川流域の拠点的な生涯学習施設、観光の拠点でもあります金山博物館の来館者も動きがでてきていますが、これまで気象の変動で来館者の動きが通年に比べやや低めでしたので、このゴールデンウイーク以降の動向には大きな期待をかけています。

金山博物館入口の通路の桜(そめいよしの)が満開です。この時期「はとバス」が久遠寺や金山博物館(下部温泉郷)などにもやってきていましたが、今年は天候不順、桜の開花情報が気になるところです。

富士川流域王国でも、この流れの中で果たせられる役割を演じて参りたいと、目下検討を進めています。

富士山の世界文化遺産登録効果は、観光面では地味でしたが、これに教育旅行の臨地研究などの要素が加われば、首都圏からは近いメリット(交通費も安い)も生かせますし、講師陣も県内には大勢いますから、利用校の先生のバックアップも可能ですし、県下あげて積極的な取り組みが欲しいところです。

峡南に欲しいものは行政区域を超えた観光(教育)資源の広域的な活用で、峡南5町全体が潤うようなプログラムの展開が求められますが、その方向性では意識においてかなりの進展があったと思われます。峡南5町はそれぞれの活性化政策を展開していますから、加えてその政策の延長線上で、連携を入れていただければ、かなり違った場面が開かれるかと思います。

今日含めてあと10日で今年度も終わり、地域活性化へ向けた活動も十分やってきましたが、まだまだ途上です。まず中部横断自動車道ですがあと4〜5年で開通予定、工事も急ピッチで進められていますが、この開通に合わせ総合的・効果的に対応できるプロジェクト、いわゆるリーディングプロジェクトとして「富士川流域観光公社」(仮称)が検討され、主に教育旅行誘致へ向けた広域的な観光組織の立ち上げが検討されてきました。