谷口一夫の富士川流域王国日記
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谷口一夫の富士川流域王国日記
2014-09-06から1日間の記事一覧
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郷土出身のニプロ創業者・生涯社長を務められました佐野實さまは、金山博物館が活性化すれば下部温泉郷も、身延町も活性化するんだと、私などはいつもご指導を賜ってきました。
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こうした甲斐金山の学習が実際に湯之奥3金山(現場)と、ガイダンス館である「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」で学習できる、富士川流域王国内の教育・体験学習の拠点として活用されていることになり、その数も32万人(有料入館者)をお迎えできましたことに感謝申し上げます。富士川流域王国の拠点として、金山博物館は輝き続けていきたいと館スタッフ全員が頑張っております。
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自然に川に流された「砂金」、河岸段丘に残された「芝金」採掘に代わる、もっと積極的に山中にある鉱石、その当初は風化した鉱石を露天掘りして採掘し、その鉱石を道具(磨り臼、回転臼など)を使って粉成(こなす)したこと。それを比重選鉱し金を採集した、その技術こそが100年後の佐渡金山などで、さらに大きく飛躍したという歴史的位置づけが甲斐金山の歴史的位置づけとして評価されるわけです。
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1500年代後半(16世紀後半)に甲斐金山は鉱石から産金する山金山として開発されました。有名な金山はここ身延町湯之奥金山(国史跡の中山・茅小屋・内山金山)や、甲州市の黒川金山などですが、日本では650年(7世紀中葉)に陸奥国(涌谷・黄金山)、下野国(八溝山)、駿河国(多胡浦濱)から、砂金による産金活動が始まり、甲斐国で山金(鉱石からの産金)が始まるまでに、すでに12世紀の東大寺金色堂でも知られる「黄金の国ジパング」は形成されています。では、甲斐金山がなぜ注目されるかについては、日本の近代鉱業の先駆けとなる
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身延町の下部温泉駅から3〜5分のところにあります、甲斐黄金村湯之奥金山博物館、この9月4日には開館以来の有料入館者32万人目のお客様をお迎えできました。山梨日日新聞9月6日付に記事が掲載されています。
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ですが富士川流域には秋がやってきています。行楽シーズン、自然の中でいろいろな学習も楽しめます、食事もおいしくいただける季節、是非とも富士川沿岸の観光をお楽しみ下さい。
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9月に入りましたら急に冷え込んできました。日中は30度くらいの暑さですが朝方は冷え込み20度前後くらいですかね。思わず布団にもぐりこむ状況です。まだまだ秋晴れの好天気に恵まれません。高気圧が日本列島の東にあって、湿った空気が高気圧の左(日本列島)を進む天気図を見ますと、列島のどこかでいつ豪雨に襲われるかも知れません。
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