既に身延町の湯之奥金山博物館では、国史跡「甲斐金山遺跡」(黒川金山・中山金山)のガイダンス館として、金山というフィールドとともに博物館における本物の鉱山の歴史・本物の鉱山道具等(遺物はすべて山梨県指定文化財)を展示公開しながら、県内はもとより京浜はじめ東海地方の学校の小中高校生、生涯学習としての観光客や一般の来館者に正しい我が国の産金のあり方を、実際の金山の総合調査に基づく史実を伝えております。

先に「峡南地域体験型旅行等誘致推進協議会」が設立され、具体的に峡南のもつ自然遺産や歴史遺産を活用した教育プログラムが構築される方向となりました。

王国プランナー皆様の企画への参加を歓迎いたします。谷口までご連絡下さい(コメント欄にて連絡頂けましたらこちらからアクションを起します)。もとより企画のための素材はリストアップしておりますが、折角の企画ですから、取りこぼしがないようにしたいと言う意図ですので、特に教育資源をもつ拠点的な関係者(王国プランナー含む)からの提案を期待しております。

富士川流域(峡南5町)を中心とした体験型教育旅行の組み立てを急いでおります。特に京浜地域の学校を対象とした取り組みに於いて、幾つもの体験型教育プログラムを考えています。

改めて王国プランナーの皆様にお伝えするとともに、新しい課題や目先のテーマが見えてきましたので頑張りたいと思います。プランナー会議も近いうちにこのブログで案内いたしますのでその際には皆様とともに未来の夢を語り合いたいと思います。

現在2泊3日の学校向けの体験教育旅行のひな形作りに明け暮れしておりますが、峡南、特に峡南の中心に位置する「身延町」に軸足を置き、加えて早川町の自然遺産を教材に加える中で、プログラムに厚みを持たせながら、まず体験型教育旅行の商品作りに「本気」モードで取り組んでいきたいと行動に移しております。

王国活動のコンセプトは過去の日記にもありますから、その趣旨に乗っ取り頑張りたいと思います。最近は冒頭に期した県協議会の中での取り組み(会議など)が多かったですが、今年から来年度にかけては具体的な教育旅行プログラムを作り発信しながら、結果を出したいとおもいます。

魅力ある教育旅行プランを立て、そのプランを旅行会社に具体的に提供することで、旅行業者の目が届かなかった新しい旅行企画の具現性がましますので、今年はまさにこれに特化して活動を展開します。

峡南には素晴らしい「教育資源」がありますから、当初からその活用のための行動をしてきました。やはり民間の力が大切ですから地域にメリットが出る活性化プランを立てない限り、地位も乗っては来ません。

峡南地域、私たちが提唱し活動を開始しています「富士川流域王国」活動と全く重なることから、王国プランナーの皆様とともに前出協議会の中でその活動を重ね併せて進めてきました。

中部横断道も新東名・新清水ICまで再来年度には開通する段階を迎えています。その中で今年度も峡南地区教育旅行誘致推進協議会が立ち上げられ活動が継続します。

受益者になりえる皆様の積極的な参加を期待しているところです。関心がありましたなら金山博物館0556−36−0015谷口までご連絡ください。

この為、これまでは広域的に峡南5町の観光活性化を睨む新組織(富士川流域観光公社(仮称))づくり中心に考えてきましたが、肩の荷を下ろして「ふるさと旅行券」を活用した峡南5町内の宿泊施設、食堂など、またツァーには体験学習、体験ができるコースなどを盛り込みながら、地域に貢献できる目に見える形のプロジェクトへ切り替える必要を痛感するにいたっています。

中部横断自動車道増穂ICから六郷ICが来年度、六郷ICから富沢IC、と身沢IC〜新東名新清水ICまでが、次々年度に全線開通を迎える時期を迎えました。横断道沿線地域が高速道路に伴うストロー現象で住民生活や活気までもが吸い取られては大変ですね。

この峡南の中心的な町には日蓮宗総本山・身延山久遠寺をもつ身延町が中心に位置し、南には静岡市に接する南部町(お茶が名産品)、また身延町から県道37を西に上がれば平家の落人伝説がある奈良田の集落をもつ早川町(教育資源が豊富)、かつては身延講の身延詣での宿場で知られる赤沢宿もある、静寂な観光地として人気を保つ。また身延町の北には甲府盆地を一望できる富士川町や市川三郷町があるが、地理的・地形的環境一つ取っても、5町は様々の顔を持っています。それぞれの顔を持つ峡南5町なので、5町のそれぞれの顔を大切にした5色の顔を

南部区間は山梨県の峡南地域(地図を見ると峡南地域は=静岡県に突き出た地域)で、日本の三大急流・富士川が中心を流れています。この峡南5町は、それぞれ個性ある町政を行なっており、観光資源なども5つの表情があります。これは峡南の魅力でもあります。何通りもの魅力を世に出すチャンスでもあり、行政を含め地域の皆様の力強い行動がいま問われているようにも思います。

この南部区間、これは、私たちが推進している王国活動と重なる流域エリアですから、もとより富士川流域王国の主力プランナーの皆様も、横断道活性化推進活動に参画し、活動しています。横断道開通時に標準を合わせ、横断道が開通しても地位化疲弊しない、むしろ横断道がさらなる地域活性化に活用できる、富士川沿岸地域(峡南5町)の広域的な活性化を目指して、様々な取り組みをしてきましたが、その開通時期がいよいよ迫ってきてしまいました。現実味を帯びて来たという事で、またプロジェクトもまだ完璧に固まった状態でなく、緊張感が拭えない状

新しい道路(バイパスとか高速道路)ができ開通しますと、それまで幹線だった沿線一帯が過疎化してしまう事例は多く、平成20年から山梨県では、中部横断道沿線活性化構想策定委員会を立ち上げ、2年間に亘り構想を練り、平成22年からはその構想の具体的をはかる為、構想推進協議会が立ち上げられ、これまで峡南5町(南部町・身延町・早川町・富士川町・市川三郷町)の活性化策として、観光を中心とした活性化事業(5町の連携も含め)策定を目標に掲げながら、4つのプロジェクトを立ち上げ、その推進に向けた活動を推進してきました。(ちなみ

猛暑の夏が終りましたが、富士川流域にも様々な課題がそれ以上に熱く迫りつつあります。それは中部横断自動車道が来年度増穂IC〜六郷ICまで開通(有料道路方式)、さらに再来年度には六郷IC〜富沢ICまで(新直轄区間で無料区間)が、同時に富沢IC〜新東名・新清水ICまで(有料道路方式)で開通予定です。

とりわけ中部横断道沿線活性化推進に伴うPJ、正に正念場です。来年度以降は部分開通が段階的に迫ったいま、工事中の現場も旧ピッチ、そのスピードに本来なら余裕を持って対応できる予定での取り組みでしたが、難しいものです。でも諦めたら何も残りませんから、とことんやれるだけのことはしたいですね。成功に限りなく近いPJもあるわけですから、気持ちを新たに今年後半期も頑張ってみます。王国プランナーの皆様もそれぞれの立場で頑張っているわけですから、力は抜くことなく最後まで頑張ります。

2015年も半年が経過してしまいました。今年もいろいろ挑戦してきましたが達成したもの、反面広域的な活性化の取り組みのものは、まだまだ継続中、これからが正念場だと思っています。

来年度六郷IC(有料区間)まで、次々年度(六郷〜南部IC区間・無料区間)が開通予定です。さらに南部〜新清水へ合流する区間の開通もそんな先ではありません。車で高速道を走ると分かりますが、目的地に一直線ですね。富士川流域の観光拠点を目的になってもらう為の努力は惜しみなくすべきだと思います。

改めて2004・09・14日の日記を見直していただけますか、実はこのとき考えていた資源の活用の仕組み、広域的には何も進んではいません。私たちは広域的といっても、行政の枠組みの中では、なかなか乗り切れないものがあるようで、単町レベルにとどまっていることが現実です。これだけの資源や活性化への素材ががありながらです。組み合わせることで「一人十色」の魅力にも対応ができるのです。

いわば広場(サークル)、「辻」的な発想で三々五々集いては互いに啓発されながら、地域活動を進めていくという、「組織」を作って満足するのではなく、フリーで必要な時、必要なことを語り合える場、そしてそれを提言する、それが富士川流域王国活動で、その考えは変わることなく11年間進めてきました。

当然、会費なども一切徴収しない方向で(基本は自己負担になりますが)地域に愛着を感じ夢を追い求めながら、結果として地域総体の活性化につながる活動を標榜し、これに賛同し理解できる方々の活動の広場ということになります。

王国活動は、それらのありあまる資源をどう活用すべきか、当初から地域活性化に燃える方ならだれでも分かることを、またそれを日頃感じている方々が、自論を語りあえる場として、誰でもが自由に参加できるように組み立てる意図でスタートしたものです。会長がいるわけでなく全員が「王国プランナー」としての活動です。

改めて「富士川流域王国日記」を見直しますと、すごい資源があることが分かります。王国活動を始めてもう11年にもなってしまいましたが、王国活動を揺り動かしてきたものは、2004・09・14日の日記を開いてもらえれば分かりますように、これだけの自然遺産・文化遺産が富士川流域にはあるからでした。

そうこうしている中で中部横断道南部区間が来年度以降順次区間開通が始ります。いよいよ来るべき時が来てしまった感じです。町村レベルの段階では温度差が有り、「我が町」感が強く滲み出ていますが、危機感もまばらな感です。一つに結束して取り組める部分は、「活性化素材」を連携させ有機的な「教育旅行」の聖地としての広域的な町づくりを早期にすべき時が来ています。これ、そんなに難しい話ではないと思っています。やる気さえあれば。現実は既に待ったなしの時を迎えてしまったということです。

現実的にはあらゆるものが全て有機的に結び合う事が大事です。また、地域間も有機的に連動し「我が町意識」からの脱皮、総体の中で「我が町」が果たせる役割と組立てが求められると思います、実際には、各町いつもバラバラ感がありますので、その辺を超越しないと「我が町」の活性化も果たせないのではとおもっています。気合いを入れてがんばりませんか。