さて房総からの女性信者、甲斐国身延山までの旅は大変なものがあったんではないでしょうか。

 ちなみに当時の女性の旅姿はどんなだったんだろうか、「時代風俗」事典(河手書房新社・1979)などで調べましても、男性の絵はありますが女性の旅姿は見られませんので、今後、絵巻などを丹念に探してみたいと思いますが、旅の雰囲気を知る手がかりとして、写真を添付してみました。
 これは箱根の関所越えの図(金草鞋)「同上・487頁掲載」ですが、関所ということで大勢の姿が見られますが、車社会でない時代の旅、特に女性の旅は厳しいものがあったのではないかと想像できます。それでも下部の湯治場へやってきた(日蓮聖人の文面からは湯治場へ来たのが主目的)ということは、湯治場の魅力・凄さを知ることができるということです。
 当然、こうした歴史の上に現在の温泉郷があるわけですから、それをリレーしている現在の温泉地の経営者は、これからも何百年、何千年と温泉地を後世に残す努力をしなければ、ご先祖さまのご苦労に申訳がたたないのではないかと思います。
 とにかく不退転の覚悟で、湯町再生を果たすべきだと思います。富士川流域王国活動でも、湯町活性化は全体の活性化へ連動するわけですから、知恵を使って応援して参ります。