正徳元年(1711)、概ね300年前・江戸期のものですがの関所における高札に書かれている文面には。次のような定めがみられます。

 一つ、関所を出入る輩、乗り物の戸を開かせ、笠頭巾をとらせ通すこと、
 一つ、往来の女、つぶさに証文に引き合わせ通すこと、附・乗物にて出る女は、番所の女を差し出して、相改むべきこと、
     (以下、略)
などとありますから、女の旅人の存在は十分あり、かつ、徒歩ではなく駕籠などの乗り物が利用されていた様子なども分かります。
 ただし、これよりさらに古い750年前に房総からやってきた女性は、どんな思いだったんだろうかと思います。