2015-01-01から1年間の記事一覧

いわば広場(サークル)、「辻」的な発想で三々五々集いては互いに啓発されながら、地域活動を進めていくという、「組織」を作って満足するのではなく、フリーで必要な時、必要なことを語り合える場、そしてそれを提言する、それが富士川流域王国活動で、その考えは変わることなく11年間進めてきました。

当然、会費なども一切徴収しない方向で(基本は自己負担になりますが)地域に愛着を感じ夢を追い求めながら、結果として地域総体の活性化につながる活動を標榜し、これに賛同し理解できる方々の活動の広場ということになります。

王国活動は、それらのありあまる資源をどう活用すべきか、当初から地域活性化に燃える方ならだれでも分かることを、またそれを日頃感じている方々が、自論を語りあえる場として、誰でもが自由に参加できるように組み立てる意図でスタートしたものです。会長がいるわけでなく全員が「王国プランナー」としての活動です。

改めて「富士川流域王国日記」を見直しますと、すごい資源があることが分かります。王国活動を始めてもう11年にもなってしまいましたが、王国活動を揺り動かしてきたものは、2004・09・14日の日記を開いてもらえれば分かりますように、これだけの自然遺産・文化遺産が富士川流域にはあるからでした。

そうこうしている中で中部横断道南部区間が来年度以降順次区間開通が始ります。いよいよ来るべき時が来てしまった感じです。町村レベルの段階では温度差が有り、「我が町」感が強く滲み出ていますが、危機感もまばらな感です。一つに結束して取り組める部分は、「活性化素材」を連携させ有機的な「教育旅行」の聖地としての広域的な町づくりを早期にすべき時が来ています。これ、そんなに難しい話ではないと思っています。やる気さえあれば。現実は既に待ったなしの時を迎えてしまったということです。

現実的にはあらゆるものが全て有機的に結び合う事が大事です。また、地域間も有機的に連動し「我が町意識」からの脱皮、総体の中で「我が町」が果たせる役割と組立てが求められると思います、実際には、各町いつもバラバラ感がありますので、その辺を超越しないと「我が町」の活性化も果たせないのではとおもっています。気合いを入れてがんばりませんか。

ということで山梨県や市町村はあらゆる場面で緊急的に活性化策を具現化しなければなりませんから、県民の個々がその地域活性化の意識を高く持ち、自らが漠然と流されるでなく主張し自らができることを実行すべき時だと思っています。

かって、私は「金丸信先生」に、山梨は陸の孤島になるので、甲府〜(新宿高層ビル屋上、羽田空港。成田空港、名古屋、大阪の空港など)まで、24人乗りのヘリコプターの定期便を飛ばして貰えませんか、すれば山梨県は劇的に変化するはずですからとお話ししたことがあります。先生は(谷ぐっちゃん)そんなこと「良いに決まっている」、だけどな道路を造って土建会社に元気を出して貰う方が先決だぞ、と言われました。突拍子も無いような話ですが、距離レス・時間レスが計れるし、陸の孤島も解決できる訳ですから。一人くらい国会議員の中にこれが語

リニアについては、東京〜中京圏への最短時間での移動がメリットですから、甲府駅での乗降客は少ないでしょう。よほど魅力がある「高度技術集積都市」に変貌できれば可能性があると思われますが、それには早く企業への呼びかけも必要でしょう。それには1,人材が得られない、2,陸の孤島になる、実はもう一つ、3,行政の応援がない。と言われていますが、この3点を考慮した対策が解決への方向を見いだす事に繋がるでしょう。

また山梨県では人材が得られ難いという事が良く言われます。全国で4県ですか「高等技術専門学校」がない県は、ならば早期に開校し企業で即戦力になる人材養成をしたら良いと思いますが、腰が重いようですね。

山梨県から企業が逃げる、また入ってこない、この要因に「山梨県は直ぐ陸の孤島になる」という事が言われています。これらは前項の交通機関や道路事情の改善で解決できるでしょう。

思うにJR中央線、甲府までは直線しして、かつ複々線化が必要ですね。勝沼から塩山駅の方へ大きく迂回しますが、その地域へは頻繁に電車を走らせればよいわけで、全体が直線・複々線化が必要だと思います。首都圏(特に新宿)などへの時間短縮は確実に図れる筈です。中央自動車道も少なくとも甲府盆地までは複々線化が必要でしょう。甲府圏を都心への通勤圏、結果としてベッドタウンにしたいわけです。人口を増やすにはこれしかないでしょう。風光明媚な自然豊かな山梨県、東洋のスイスという思いを強く持っています。ワインもあり新鮮な野菜もあり

それらが実行されていたなら、今日見られるような低迷はしていないと思うんですが。残念ながら結果からみると山梨県何か一歩も二歩も全国平均より遅れをとっている感じですね。そして最下位だったりするんですね。首都東京の隣県にありながら・・・といつも思っています。その要因は何ですか?。甲府駅までは東京(新宿)の通勤圏にする努力が必要ですね、県選出の国会議員さんも多いわけですから頑張ってほしいです。

山梨県の場合、もっと総合的な山梨県が目指すきめ細かい実現可能な「ビジョン」が欲しいですね。勿論、国や県などに総合的なものが作られていることは承知していますが、ビジョンだけは立派でも、その先の成果(果実)が得られなければ無いと同じです。

なお王国プランナーは、地域活性化を考える方なら誰でも参加できます。会費等の徴収はありません。詳しくは過去日記にも記載してありますのでご覧下さい。

山梨県では養豚に限らずこの発想が必要ではないかと思うわけです。いろいろな意見があるかと思いますが、コメント欄に投稿していただけたら幸いです。

既に山梨県では野菜・果実や酒・ワインがあり、それに豚肉が加われば、鬼に金棒、この組み合わせで毎日、毎週にでも山梨県産の豚の供給が図れるなら、その周辺産業含め自力で活性化策が図れると考えていました。養豚に必要な餌はアメリカからのトウモロコシ(穀物)などがあてられますが、鹿島港とは遠い山梨県は鹿島からの運送代などの経費も重なり、コストの削減にはネックになりますが、その分遊休農地となった近隣の畑で、形はともあれトウモロコシ、ジャガイモ等々、豚の餌になりえる穀物を積極的に生産していただければ、すべてその養豚農場で

実はそれを実践しようと、實社長と1年半「山梨県100万頭養豚県」を目標に掲げ、その可能性や実際にその組み立てについて行動に移りました。結果としてこれは実現しませんでしたが、計画では2万頭の農場を50か所作れば100万頭の生産が可能で、中央道と現在整備中の中部横断道が開通された時には、その道路を使って関東圏や中京圏、関西圏にまで、さらには外国へも優秀な安全な豚肉を供給できることになる、という考え方でした。もしコンスタントに送り出せる商品がなければ、山梨県内を走る高速道も他県の流通道路になるだけだ。山梨県はそ

山梨県では、これは全国都道府県でも同じ傾向だと思いますが、活性化の近道として「企業誘致」を第一に挙げて、工業団地の整備などに力を入れるケースが多いわけですが、企業側とすれば景気が悪くなればリストラや工場縮小、工場撤退などの対策を立てるわけですから、こうした「企業誘致」は必ずしも活性化策にはならんのだよ(ニプロ創業者社長佐野實氏)(故人)が生前よく語ってくれたことを思い起すわけですが、企業誘致でなく産業を興すことを第一に考えなければいかんのだよ、とよく言われていました。

何が低迷しているかと言うと、まずは大企業比率が日本の都道府県の中で最下位、と言うことは働く場が無いと言うこと、なければ人は住めないですね。働く場を求め人は流出します。従って人口は減少の一途です。

一人勝ちの東京都の隣接県でありながら、山梨県はその波及効果もないまま、ながいこと低迷を続けています。王国プランナーの会話はいつもここから始まります。最近の話題を少し紹介します。

本年度はこれらPJが、より中身の濃いものに発展するように活動が展開されますが、王国プランナーの皆様の積極的な参加協力をお願いいたします。

4つのPJは(1)こしべんとPJ(地域の食材を使ったお弁当事業)、(2)富士川下りPJ、(3)富士川観光公社(仮称)による教育旅行推進PJ、(4)富士川サイクルPJです。(1)については事業として独り立ちするまでに至っております。(2)については諸般の事情があり、既に多くの観光客にも乗船していただくなどありましたが、残念ながら昨年度末に一応終止符が打たれてしまいました。(3)については峡南5町の広域的な観光PJで、特に教育プログラムの推進に向け努力が続けられています。先進地長野県飯田市や群馬県水上市などの

この中部横断道開通にそなえて開通後、沿線地域が過疎化しない為の方策として県では、当初2年間構想委員会で構想を練り、その後5年間、活性化推進協議会が立ち上げられ、合わせて7年間対策を練ってきていますが、具体的には峡南5町や地域関係者が議論を重ね4つのPJを立ち上げ推進してきました。

中部横断道の建設現場では来年度一部開通(増穂IC以南)を目指しており急ピッチに進められていますが、国道52や県道などにもあわただしく走るダンプカーが目立ちます。開通がまじかになったなということを肌で感じます。

4月に入りましたが寒暖の繰り返し、桜の花も強風や雨などで早々に散ってしまいました。でも、やはり春ですね、人の動きも活発になりつつあります。このまま富士川流域への観光客が増えることを期待しています。

今日30日は、私(谷口)昭和19年3月30日に横浜から山梨へ疎開してきて満70年が経ちました。その2日後の4月1日には(右左口村)の右左口国民小学校へ新一年生として入学、校門の左脇に咲いていた大樹の桜の木の桜花を思い起こしますが、4月7日には鹿児島県沖で不沈艦とされていた戦艦大和が撃沈されるなど戦況もかなり厳しくなっていたようです。翌20年7月7日の甲府空襲もこの右左口村から、空からきらきら光る米軍の宣伝ビラも、また8月15日の終戦を告げる陛下の玉音放送も大人の輪の一番後ろで聴きました。みんな泣いていまし

湯之奥金山博物館への入口、下部川の左岸河川敷に植えられている河津桜が満開、美事なピンク色を咲かせています。また博物館入り口に並ぶソメイ吉野はまだ二分咲き状態、間もなく河津桜との競演が楽しめそうです。

南部町などでは河津桜が満開、可愛いピンクの花をつけている情報もありますが、下部温泉駅を数百メートルほど温泉街へ登った対岸の河津桜は、まだ蕾状態です。その脇にはそめい吉野の並木ががありますが、毎年4月1日前後には満開になります。今の状態では、河津桜も同時かも知れませんね。やはりパッと咲かないと意気も上がりません。桜の魅力って凄いです。

富士川流域(峡南地方)も春ともなれば人の動きが出るかと思いきや、2月よりは多少は動きが始ったものの、まだまだ状態です。気候の方も不順で寒く、散歩にはもう少し気温が上がらないと無理かとも思われます。