2010-01-12から1日間の記事一覧

こうした身近にみられる現象こそが、この地独特の地域遺産・地域文化ですね。こうしたものを殺伐とした都会で生きる皆様にも触れて貰うことは大事かと思います。

身延町には夜子沢と言うところがあますが、富士川舟運のために川底の岩を削った跡が飯富橋したに、レールのように残されていますが、石工衆集団がそだったんですね。また早川町が富士川に合流する地点には下山というところがありますが、ここには中世戦国時代には館があり城下町が形成されていたんですが、早川入りから搬出された良質の木材があったんですね、立派な宮大工衆が育ちました。いわゆる下山の大工衆団です。中富には「紙漉」職人が誕生し、六郷では印章技術が、また、私達は甲斐金山の研究をしていますが、金掘り技術者集団(金山衆)な

富士川流域王国は、富士川とその上流域(釜無川・笛吹川など)沿岸には、旧石器時代、縄文、弥生、古墳時代、古代、中世、近世、近現代の遺跡が集積しています。この自然の中に共生した文化遺産を見つめ直し、生涯学習の場であり、観光資源の場でありたいと、これらの情報発信をやっていますが、よく観察すると中世〜近世以降からですか、そこで育まれた技術者集団の誕生の姿が見られるんですね。ここで発生して現在の人の暮らしの知恵になっているものが色々あるわけです。

遺跡には、色々な文化を残されていますが、やはり、愚かな人類の残像なんでしょうかね。いいえ、そんなことはないですね。ただ一つの文化というものの寿命は600年間だと言われてもいます。丁度、弥生時代くらいのスパンでしょうか。日本の縄文時代、12000年、草創期を入れて、早期、前期、中期、後期、晩期と6期に分けられてもいます。ですが、継続したこうした長期の文化は、世界にもまれに見るものでしょう。

今、世界の政治や経済地図が塗り替えられつつあります。殺伐とです。やがて中国やインドの時代になると思われます。同じ事の繰り返しをしている内に、地球は壊れていきます。でも人は愚かですから止まらないんですね。とことん終わりまで行かないと。中国の経済発展を中国人の大学教授に凄いですねとメールしましたら、「心」が失われて来ていて将来が按じられます、という返事が返ってきました。

古代や中世になると、さらに明確な「辻」の世界が出てきたと思いますね。「辻」には何処彼処から人が集まり、市が開かれたり、大道芸が披瀝されたり、諸国の情報が聞けたり、祭が行われたり、・・・考えただけで、楽しくなりませんか。この素朴な世界観こそが、活性化の原点なんですね。

「辻」の世界こそ大事です。恐らく縄文時代には集落間を結ぶ中間にはあったと思われます。北杜市にある梅の木遺跡には、集落から川辺へおりる斜面に、斜めに人為的に造られた道が発見されていますが、集落間にもいわゆる獣道的な道が発展したような道があり、その中間当たりには、集落間におけるぶつぶつ交換や婚姻などの情報などが取り交わされたりしたと考えられますね。

山村などの小道を歩くと、いわゆる旧道などですが、道々が交叉した「辻」があります。ちょっとした広い空間があり、多くは大木が一本あったりします。石造物が片隅に残されている場合、道祖神や馬頭観音が残されたりしています。あるいは道標などが、片隅に忘れかけたように傾斜して残されたりしています。文化遺産は、中国の万里の長城やピラミッドだけではないんですよ。こうした素朴な文化遺産こそ私達には大切なんですね。

こうした文化遺産は、必ず人が生活してきた現場には残されているわけです。人の暮らしが継続していれば、必ず大なり小なりあるはずなんですね。その地域の自然のもつ特質と共にです。食べ物にしても、生活習慣にしても、祭などの年中行事にしても、葬式にしてもです。困るのは、人の生活が途絶え始めてきたことですね。限界集落とか言うわけですが、何をしたくてもする人がいなくなってしまった事です。

文化遺産とは、決して難しく考える必要はないんです。人が人類が自然と共生しながら生き抜いてきた痕跡、暮らしの跡、人間の知恵の残像。その生活の中で育まれてきた文化・芸術など。だから常に時代の先端を歩み続けている人が、過去を振り返ったとき、必ず見いだせるもの。そういったものなんですね。当然、そこには学ぶものが沢山あります。

地域に住む方々が自分の地域に誇りがもてる、まずはこれが原点ですね。それには、その地域にしかない、過去からの生活の中ではぐくまれた文化、それを改めて再評価することが大切だと思いますね。