「石垣」残す決断を

湯之奥金山博物館長 谷口一夫
 近年「県都甲府」の停滞ぶりが気になる。甲府駅前も中心街も賑わいがなく、「県都甲府」の顔(個性)も見えない。かつての甲府は商業の中心地で昼も夜も賑わったが、いまや周辺地域に商圏を奪われ低迷を続けている。甲府の魅力って一体なんだろうか。 やはり甲府といえば「甲府城」と「城下町」、城下町遺跡の上で市民生活が成り立っていることだ。旧町名が消えた今、その認識は薄れるが、この歴史を生かさないと甲府の個性は確立できない。
 今や時代は「歴女」ブーム。世界の観光地に日本人女性の姿がある。行き先は古都が多い。本物の文化(歴史)遺産とそれを包む歴史的景観や、そこに誇りをもち暮らす人々に触れる観光だ。
 さて「甲府城」は武田氏滅亡後、秀吉の命を受けた浅野長政・幸長親子が、文禄2年(1593)から慶長5年(1600)にかけ築城したもの、「城下町」も合せて発展してきた。特に甲府城は、県が18年余をかけ甲府城公園整備と石垣の解体修復・稲荷櫓復元などで見違えるようになった。全て絵図、古文書、加えて発掘調査を行い史実に基づき修復された。価値を高めるため国指定史跡を見据えた整備だ。また北口の山手門跡周辺は甲府市の整備事業だが、石垣の発見で市は計画を変更し埋設保存、史実に基づき山手門復元を行った。同じ区画整備でNHK甲府放送局は石垣遺構を避け別区画へ変更した。共に遺跡の重要性を優先した措置だった。さて今回、県「防災新館」予定地の文化財調査で、甲府城大手門跡南側から築城初期の石垣が、東西27メートるにわたり発見された。横内知事は「石垣の現状保存は困難だとし解体移設」を表明したが苦しい事情も分かる。だが石垣は移設したら単なる石ころ、現場にあってこそ価値が残る。また「新館」は60年余の耐用年数、石垣は埋設すれば未来永劫残る。天秤にかけてもどちらが大事か明らかだ。本県の教育・観光振興の為にも400年以上の歴史の証人を潰さずに未来の人たちへ残す決断をして欲しい。