2014-11-08 本日は湯之奥金山博物館恒例の富士麓金山遺跡見学会で、地元の東京農業大学の木村先生と合流して、事前研修を済ませ毛無山1964㍍の途中地蔵峠の手前に位置する富士麓金山遺跡をめざし登攀いたしました。位置は身延町湯之奥中山金山と峠を挟んで反対側(朝霧高原)に所在する金山で、歴史的にも戦国期に始まった湯之奥中山金山とは古いつながりがあります。特に481年前の天文3年今川寿桂尼文書に太田甚五郎にあてた文書に富士金山へ上げる荷物毎月五駄(馬五頭の意味)、毎月六度(六回)上げてよいという通行文書がありますが、文書の最後に